2009年12月11日金曜日

博論

雨である.自宅から駅に行くのに通る青梅街道の歩道はおそろしく狭く,傘をさして歩いていると電柱の箇所でいちいち斜めにしないと通れなくてひじょうに不愉快である.そんな歩道を自転車が傘をさしながら爆走してくると軽く殺意を覚える(いつになったらこの日本のとんでもない自転車のマナーは改善されるんだろうか).

今朝は奥さんが朝6時過ぎの新幹線に乗って,阪大まで博士論文を提出しに行った.大学と違って融通の効かない勤務形態の中,ここ何週間ほとんどまともに寝ないで追い込んで書いていたので,いつか倒れまいか心配していたのだが,なんとかなったようで一安心である.身内ながら実によく頑張ったと心から褒めてあげたい.

私もちょうど4年ほど前にイギリスで博士論文を提出したが,そのときの達成感というのは今でもはっきりと覚えている.なんせ夜型の人間なので,提出前数カ月はほぼ毎日深夜3, 4時くらいまで大学院生の研究室で執筆して,自転車に乗って自宅に帰ってシャワーを浴びて,適当なものを食べて,数時間仮眠をとって,また研究室に戻って,という繰り返しであった.最終的な仕上げが終わったのは,実に清々しい朝であった.大学はWivenhoe Parkという公園の中にあったので,徹夜明けだったが,コーヒーを手に研究室のすぐに横にある湖に行き,カモや白鳥やアヒルを晴れ晴れとした気分で眺めながら,ひとりニヤニヤしていた.

研究というのは終わりとか完成というものは通常存在しないので,研究者は(少なくとも私は)普段達成感というものを得ることはほとんどない.論文を書き終えても,科研などのプロジェクトが終了しても,特に感慨もなく次の段階の研究にさっさと進むだけである.新たな研究課題が出てくることが,すなわち当該研究が意義あるものである証なのだから.しかし博士論文は特別である.長く時に苦しい大学院生活(「入院」生活)を終了し,指導教官から離れ,研究者としての独り立ちするという,人生の経験がそこには絡んでくる.人生におけるある種の分水嶺を越えるわけだから,やはり達成感と呼ぶべき感情が生まれるのだろう.

うちの奥さんがそんな感情を抱いているかどうか不明だが,まあ帰ってきたら鍋でもつついて久々にのんびり家でも食事をしたいところである.なんせここ数カ月,まともに夫婦で食事もしていないのだ.と思ったら,この前関西人の心の友「旭ポンズ」を使いきってしまったのを思い出した.あれがないと「鍋」って感じがしない.東京でどこか売ってないのかなぁ,旭ポンズ.
 
QLOOKアクセス解析