2010年11月18日木曜日

eps

このブログ記事をちょっと前にアップしたと思っていたのだが,どうもアップし損ねていた模様.なので,ちょっと前の写真だけれど,大手町つばめグリルのビール(大)である.我々夫婦は時々大手町の丸善に洋書をあさりに行くのだが,ついでにご飯を食べるとなると,色々考えるのが面倒なので,すぐ上にあるつばめグリルに入ることになる.何を食べても結構美味しいし,何よりインパクトのあるビール(大)が飲めるのがうれしい.こいつは1リットルもあって,グラスではなく厚い陶器なので,飲んでると腕が疲れるくらい巨大なのだが,他では飲めないので,なんだがそれだけで心がうきうきするものである(実は私はレーベンブロイがそれほど好きではないので,中身はハーフ&ハーフだったりするのだが).先に出てくるソーセージとザワークラウトで半分くらい飲んで,ハンバーグで残りを飲み干すと,もうお腹いっぱいである.

閑話休題.久々にLaTeXネタを.今年もせっかくなので紀要に論文を書くことにしたのだが,世間のほとんどの印刷所同様LaTeXの入稿が不可能である.PDFもだめなので,MS Wordで仕方なく入稿することになる.その際の,LaTeX文書からMS Wordへの変換の作業の効率化のための個人的ノートを書いておこうと思う.

まずLaTeX2rtfが必須.ちょっと前まで,それほど変換の精度が良くなかったのだけれど,最近のバージョンはかなり強力で,地文はセクション分けもイタリックやスモールキャピタルなどのフォント指定も問題なく変換してくれるし,参考文献も大丈夫である.一応出力はリッチテキストだが,MS Wordで保存し直せば大体問題はない.

あとは難所の例文と図表である.例文はもう諦めて,手打ちするしかない.図表は私の場合,treeとAVMだが,こいつはMS Wordでやると大変面倒くさい(もちろん方法は知っているが,あんなことするくらいなら,最初からLaTeXで書かないほうがよい).そこで画像にして入稿することになる.私のあまり多く無い経験からいくと,やはり画像はepsで提供するのが無難なようである(さすがにIllustratorが使えない印刷所はないだろうし).

ということで,せっせとtreeやAVMを1つ1つepsファイルにしていく.具体的には,以下のようなtexファイルにソースを書いて(コピーして),コンパイルしてdviを作る.

\documentclass{article}
\usepackage{必要なものを}

\begin{document}
\thispagestyle{empty}
ここに図表のソースを
\end{document}

その後,以下のような感じでdvipsしてやると,図表だけのきれいなepsができあがる.

dvips -E hoge.dvi -o hoge.eps

これで生成されたepsファイルを上述のテキスト部分のMS Wordファイルと一緒に入稿すればよい.やりたければMS Wordファイルにepsを挿入することもできる(Macだととてもきれいに表示されたのだが,試しに同じファイルをWindowsで開いてみたらおぞましいガビガビの画像になっていた.OSの質の差か...).

で,入稿後,結局「図表はフォントの統一性などもあり,こちらでもう一度作らせていただくかもしれません」というメールが来たりするのだけど... まあ,もちろんありがたいんですけど,本当はこの辺は前もって細かく打ち合わせた方がいいのかもしれない(そういう立場にないので,何ともできないのだけれど).

2010年11月8日月曜日

PACLIC 24

2ヶ月くらい様々な事情で更新をしていなかったので,リアルで接触のない人にはついに逝ったかと思われているかもしれない.一応まだしぶとく生きています.

9月,10月と色々なことがあった気がするけど,いざ振り返ると10日ほど前の10月末にタイトなスケジュールの中無理矢理温泉に行ったことくらいしか思い出せない.大したことではないが,前回の熱川のように渋滞に巻き込まれる失敗はするまいと,奥さんの住む別宅のひたちなか市からスルッと北上していわき市の(なんでどこもかしもひらがなの地名なんだ)いわき湯本温泉に行ってきたのである.

ちょうど台風が直撃していたのだが,前任校で吹雪の中,別のキャンパスまで毎週100kmの道のりを車で往復して教えに行っていたことを考えれば,そよ風みたいなものである.温泉は湯の質も良く,料理もアンコウ鍋や地元名産目光の唐揚げを,地酒の大吟醸と一緒にいただいて,大変満足.帰りは高速ではなく地道を台風で荒れる太平洋を横目に,日立帝国を通過する道のりをゆっくり走ってきて,中々楽しかった.東京に来てから,冬にタイヤをスタッドレスに交換しなくなったので,しばらく雪が降りそうな地域にはいけないのが残念である.ジャッキアップして,自分でせっせとタイヤ交換していたのが懐かしい.

そして先週末は東北大学でPACLIC 24であった.私はプログラム委員長ということで,主な仕事は学会前に終わっていて,当日はゆっくり楽しもうという魂胆だったのだが,まあなんだかんだで色々忙しかった.とりあえず表面上は大きなトラブルもなく,無事終わったので一安心である.裏方で東北大の大学院生の皆さんがよく動いてくれて,とても助かった.アジアからの留学生もたくさんいて,雰囲気も良く,てきぱき働くのを見て,中々微笑ましいものがあった.もう少しゆっくり皆さんと話す時間があれば良かったのだけど.

役割上,学会前に発表者と色々やり取りすることがあり,実際それらの人たちと直接会って,話すことができたのはとても楽しかった.元々イギリスにいるときから,この手のことはよくやっていたのだけど,帰国後しばらく孤立した環境にいたので,再び学会運営を通じて様々な研究者と交流を持てるようになったのは喜ばしいことである.あと,東北大で研究員をやっているイギリス人が,お互い院生時代に何度か学会で顔を合わせていた人で(彼は当時オランダの大学にいたのだが),実に7, 8年ぶりに再会できてとても懐かしかった.シンガポールでしばらくポスドクをやった後,東北大でもう1回ポスドクをして,今は研究員ということだけれど,相変わらず私には全然ついていけないゴリゴリのformal semanticsで,思わずニンマリしてしまった.

あとは余談としては,韓国からきた人に,ホテルのテレビをつけるとよく早稲田の野球選手が出ているけどなんでなの?と聞かれたり(斎藤君のことだろう),香港から来た人に,村上春樹本に載っていた観光コースに従って早稲田大学界隈を歩いたと言われたり,研究とは別の意味で早稲田の影響力を実感したりして.

11月はあと日本英語学会も日本言語学会もあるし,割と色々なところに出没することになりそう.気づけば休日が1日もない月だけれど,まあカレンダー上は休みの週末も休むことは稀なので,あまり変わらないのかも.

 
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